ガウディが残した幾つもの作品。
彼は多くは建築家ガウディとして紹介されている。
しかし、彼は建築家と称される前に造園家、ランドスケープアーキテクチュアーであった。
同じく、30台にランドスケーピングを勉強していた僕にとって
今回のバルセロナ訪問の一番の目的は
サクラダファミリアに見られる、建築家ガウディの発想の根源は
どこから来ているのだろうと言う探索でもあった。
そこで訪れたのがグエル公園、
グエル伯爵とアントニ・ガウディの夢が作り上げた宅地開発で、
1900年から1914年の間に建造された。
彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、
ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、
自然との調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。
この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでおり
それに対してガウディとグエルはバルセロナが一望出来るこの場所に
人間が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。
しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。
結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていたが、
買い手がつかず、結局売れたのは2軒でガウディ本人とグエル伯爵だけであったという。
グエル伯爵没後に工事は中断し、市の公園として寄付される事になりグエル公園となった。
とにかく、アートに包まれた分譲開発であり、
造園家としての借景の技法、
ガウディが間違いなく好きだったパームツリー、その他の植栽など
造園家ならではの発想が随所に行かされている作品であると感じた。
そして何よりも、ガウディは人間工学に対しても既に識者であった事を伺わせる
階段の蹴上げ、スロープの幅、角度、
人口土壌を受ける沢山の柱を単に土木構造物とするのでは無く、
彼独特の芸術センスで魅せられる作品に変えてしまっている。
30年程前でしょうか、マンホールの蓋が味気のない無機質の黒い鋳鉄蓋であった時
その蓋のデザインを、優しいご当地紹介のレリーフにしたり
色々な紋様の美しいデザイン鋳鉄蓋にした、京都のある美術研究所の事を思い出しました。
ここグエル公園はすべてに細かな配慮がなされた、
素晴らしい芸術分譲開発地であると感銘致しました。